アゲイン’95 |
7−1 |
![]() ドゥオモ |
<フィレンツェ紀行> 4名 KH・HY・NN・AY いざフィレンツェへと心勇んでホテルを出て冷たい風の中、テルミナ駅に向かいました。昨晩の苦労してチケットを獲得した話がまた出ました。今朝、気持ちよく旅立てるのも、昨日の苦労があったからで、みんなの喜びは一塩でした。3番線のホームに行き、605号車の53〜56番のシートを探しました。ワンボックスに3人向かい合わせの6人掛けのシートでした。まずは座れたことにほっとしました。列車は定刻より少し遅れて発車しました。隣は、ギニア生まれのイタリア育ちの愛想のいい青年でした。 中村さんが、名前、住所、行き先などを聞いていました。スイスまわりでギニアに帰るとのこと。窓の外をのぞいてみると、このあたりのトスカーナ地方の景色は、日本の農村の風景と全く変わりませんでした。ただ違うのは屋根の色が茶色であることでした。 |
![]() ドゥオモ |
山間部にはいると、斜面に家が並び、岐阜の温泉街とよく似た風景が見られました。 到着時間に近づいたので、荷物を持って出る準備をしましたが、駅のプレートが、フィレンツェのフィの字すら見つからないので、隣の青年に聞いたら、まだだいぶあるとのことでした。地図で確認すると半分も来ていないことがわかりました。しかたなく止まる駅を地図で確認しながら到着を待ちました。しばらく走って、琵琶湖ほどもある大きな湖が見えてきました。これはおかしいと思い、よく見ると線路が違うことに気がつきました。急いでレストランのお姉さんに聞いたら、線路の途中にテロが爆弾を仕掛けたという情報が入ったので、迂回して遠回りをしているとのことでした。12時か1時には到着するだろうと教えてくれました。この分だと、今晩フィレンツェに泊まって、明日の昼バスに拾ってもらうことになるかもしれないという不安がよぎりました。ようやく到着したのは12時を過ぎていました。これでは、6時間でフィレンツェオプショナルツアー計画を実行しなければならなくなりました。 |
![]() フィレンツェの街並み |
いよいよフィレンツェの駅に降り立ちました。2時間も損をしたので、駆け足でまわる覚悟でドゥオモ(花の聖母マリア教会)に向かいました。緑と白の大理石がとても美しい建物でした。ステンドグラスもとても美しく印象的でした。次に隣のジョットの鐘楼に入りました。80メートルもある階段を一気に駆け上がりました。頂上までたどり着いたときは、鉛のように足が重くて立つのがやっとでした。そのかいあって、外はとてもすがすがしく、美しいフィレンツェの街が一望できました。この後の目的地を確認して、あわてて降りました。 |
![]() フィレンツェの街並み |
次は、一番楽しみにしていたウフィッツ美術館に早足で駆けつけました。案の定、たくさんの人が並んでいました。待ち時間がもったいないので、ホテルの朝食のパンやチーズ、果物を取り出して並びながら昼食を取りました。スムーズに流れ出したので、食べ終わらないうちに入場するのではないか心配でした。30分ぐらい待って入場できました。 宗教絵画がたくさん並んでいました。その中で特に、ボッティチェリの「ビーナスの誕生」やレオナルド・ダ・ビンチの「受胎告知」などを楽しみにじっくり見ました。彫刻家のミケランジェロの「聖家族」がとてもリアルで立体的で、布が手に取れるように本物みたいに表現してありました。たくさんの絵画があり、一時間以上かかってしまいました。急いですぐ隣のヴェッキオ宮殿に入りました。メディチ家の栄華を象徴する宮殿の、部屋の隅々まで絵がぎっしりつまっていた。芸術に莫大なお金を投資したことがよくうかがわれました。 |
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