時を超えて受け継がれる祭り
弁天様は12年に一度、巳年に本開帳となります。かつてはご開帳の期間は1ヶ月にも及び、その間毎日お参りが行われました。昭和の時代、ことに島の人口が多かった戦後間もない頃は参拝者も多く、相当にぎやかで活気に満ちていたとか。本土(幡豆郡)からも漁師たちがお参りに来たため、東の港にはその人たちをお客さんとするお店も並んだといいます。
筒井さんは小さい頃から奉納太鼓とともに祭りの賑わいを体感してきました。だから「祭りイコール太鼓」という図式が体に染み付いていて、太鼓を思い浮かべるだけで自然に胸がワクワクしてくるそうです。昔から弁財天祭典の奉納太鼓は佐久島本島や本土から筒島へと、舟にのせて運ばれてきました。そして本島と筒島が堤防で結ばれるようになった今でも、舟で太鼓を運ぶ風習は守られています。
やがて東地区は観光客が増えはじめ、祭りの準備に手間ひまをかけられない島民が多くなりました。このためそれまで東地区では4つの祭りで太鼓の打ち込みを行っていたのを、秋の大祭の時だけ行うことに決めたのです。こうして弁天さんの祭りから、いったん太鼓が消えました。
その後徐々に高齢化や過疎化が進み、太鼓を打つ人さえも減っていくという時代を迎えます。そこで、このままではダメだと考えた勇士たちが立ち上がり、弁天さんでの打ち込みを再開。そして2001年の本開帳の年には、アートイベントとタイアップ。これが、佐久島太鼓の素晴らしさを多くの人に知ってもらうきっかけとなりました。
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