‐例 えばデザインというものも絵画のようにその作成者が死亡してから、またはその品物が無くなってから、後世の人が初めてその偉大さを発見するもなのでしょうか。?でもそうなるとデザインに対しての評価がいつもノスタルジーでしか語れなくなります。
‐分 かり易い例として話を車のことにしましょう。「スバル360のデザインは良かったね。」確かに私もそう思います。フォルクスワーゲンとの造形的類似性は指摘できますが、それがスバル360のデザインを良いと評価するときの妨げにはならないと思います。でも今私の目の前にスバル360が新車で改めて売り出されたとしても私は購入しないでしょう。なぜならスバル360のデザイン(この場合スタイリングという意味でなく、広義の意味で)は現在の車としては劣っているからです。
‐で はスタイリングはそのままにエンジンからサスペンションまで全てのメカニズムを最新のものに変えた場合、例えば「ターボだ、DOHCだ、マルチバルブ、フューエルインジェクション、おまけに4駆で、4輪操舵、ASBにエアバッグ、オープンルーフにエートまだなんかあったっけ?そうだこの際2シーターにしてしまえ。」はどうでしょう?私の感覚では何かウサン臭さが車に漂いはじめます。
‐豆 スバルのあの愛くるしいチャーミングな形は当時の道路交通事情、生産事情等により、そうパワフルでないエンジン。それに応じたサスペンション。そのための当時の板金技術でつくれる軽量で鋼性の高いボディ構造、当時の日本人の体型等、全てトータルなバランスの上でスバルが回答した当時の車のデザインの結果だからです。最近の工業製品に見られるレプリカやネオクラッシックデザインとはデザイナーの怠慢とデザイン進歩への努力放棄の結果に間違いありません。
‐今私が使ったデザインという言葉は狭義の単なる形や色を表す代名詞の意味ではありません。ものの企画/計画という意味での広義のデザインです。(もちろんその中には形や色を表す部分も当然含まれます。)
‐一 般の人はデザインと言うときにそれは単に形や色を表す代名詞となりますが、我々工業デザイナーがデザインと言うときにはこのような広義の意味で使用する場合があります。(発音の仕方を違えて区別しているというふうな言うことはありません。)
‐時には色や形はもののデザインにおいて、一番後回しでどうでも良い場合があります。
例えば以下のような場合にも我々工業デザイナーは良いデザインという表現を使います。
‐●あるものが以前のものと全く同じ形や性能でも、デザイナーの創意工夫によりコストをX%下げた場合。とか、
‐●それまでだれもはっきりと気がついていなかった使い勝手の悪い部分、何となくこんなもんだと見過ごしていた部分を発見し改良した場合。とか、
‐●技術としては最新鋭の先端ではないけれども、その形と色により製品の新しい使い方を現実化したとき。などです。
‐断っておきますが「王様のアイデア」とかスーパー等でよくやっている「主婦の発明便利商品均一バーゲン」などとはちょっと意味が違うようです。
‐工業デザイナーがよく使うこの広義の意味での「良いデザイン」という言葉を大部分の人は(工業デザイナーがすぐ近くにいるような人でも)区別できていないと思います。
またそのことを主張する工業デザイナーもあまりいなかったように思います。
‐で すので立場によって「良いデザイン」の結果も当然違ってくるわけです。例えば人間や生物に有害な無色無臭のガスがあるとします。兵器として使う立場にデザイナーが回れば、そのガスにうっとりするほどきれいな色や良い香りを付けます。そのほうがより効果的に人を殺せる良いデザインです。人間の安全を考えるデザイナーはそのガスに刺激があり不快になるようどぎつい香りや色を付けるでしょう。もし漏れたらすぐにわかります。これも良いデザインです。
このようにもののデザインは立場によって多様な結果を生むのです。
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